北師の歴史▽北師会館三代記

  1. 初代会館「北師館」のこと

     今は昔,札幌は南1条西18丁目の電車通りに面し,母校校地西隣の敷地(500坪)の奥まった樹間に,木造2階建の瀟洒な洋館があった。北師館と称し,大正5年,北師同窓会会員の醵金で建てた会館で,会活動の本部が置かれた。会館は,普段は静まり返っていたが,年に1度は同窓会総会が開かれ,時々,幹事会等も開かれたという。また,夏季講習会や教育講演会が開かたこともあったようである。 建築23年後の昭和14年に館を売却し,事務所を母校附属小学校に(平成元年まで)移すが,それまでの記録は行方知れずになっている。後日の資料や大先輩の話では,北師館には畳敷き大広間,1・2の宿泊室と管理人室があり,大先輩寄贈の文庫(書棚)は宿泊者の慰めだったという。時には,会員の集いや懇親会も開かれたが,管理人が常駐でなく,仕出し弁当持込みの利用だった由である。そんな状態で卒業生の利用は余りなかったが,何とはなしに懐かしい心のよりどころとなっていたようである。



  2. 第2代会館「北師会館」のこと

     南21条西12丁目の北師会館は,昭和38年の開館以来,平成元年5月末に閉館するまでの27年間,会の目的である親睦・研修・福利厚生の場として,更には母校との連係を深め,同窓生の心のよりどころとして意義ある存在となった。会館は鉄筋コンクリート2階建で,食堂・宿泊室・貸し席(会議・宴会他)・厨房等の設備を持ち,専門の調理師(管理人兼務)が住み込み,館長の下で業務に就いていた。北師会館の建設経過をたどると,昭和4年に南22条への母校移転後,諸事情から昭和14年に前身の北師館を売却して母校の北向いに520余坪の土地を購入し,他日の会館再建を期した。後日「会員の宿泊施設と子弟寮」建設計画を立て,費用積立てを始めた。が,戦中・戦後の激動で挫折の止むなきに至ったのである。昭和24年頃より会員から「会館再建促進」の声が高まり,建設実行計画を立て,昭和32年から募金活動を始めた。昭和35年に館名を決定し7月着工,秋には竣工を見たが,醵金の遅滞に加え,諸費用の高騰で敷地の一部(200坪)を止むなく売却し,資金に充てるなど,紆余曲折の末,昭和38年夏に開館した。ともあれ,こうして積年(24年来)の宿願であった会館(北師会館)の再建が成ったのである。



  3. 第3代会館「北師会館」のこと

     昭和62年,北区あいの里への母校移転に伴い,北師同窓会の主事業の中の,母校後援と会館運営に大きな支障が生じた。更に,会館老朽化対策も考慮して検討し,「本会の不動産処分による原資をもって,母校近傍に新会館を建て,事業の継続発展を図る」という結論に達した。その際,建設費用はすべて売却した原資で賄うこと,本部機能としての事務室,会議室,資料室等を整備するほか,多年念願の女子学生寮を併設することが,必須条件とされた。実現に向け,法人としての手続きをはじめ,建設に必要な諸事を着実に進め,「北区あいの里3条3丁目3」に取得した500坪の敷地に,必須条件を具備した斬新なデザインの新会館が,平成4年3月に落成し,4月に開館した。館名は,再び伝統ある「北師会館」と決定し,館名碑に,前会館ゆかりの字体が刻まれた。こうして,同窓先輩の心の結集と努力による産を受け継ぎ,母校近くに同窓会員の心の故郷である会館の新生が三度成ったのである。  

 今後,会のシンボル・活動拠点,会員の憩いの場として会館が一層活用されることと,北師同窓会の更なる発展を願うのである。以上,北師同窓会資料(会報,会誌,同窓会だより他)及び母校の五十年史,七十年小史,九十周年記念誌,百年記念誌等を参照してまとめた。

           元館長 大場孝夫(昭和30年卒) 記